web complexはリニューアルに伴い、展評欄を下記アドレスに変更致しました。
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今後ともweb complexを何卒よろしくお願い致します。
http://genbaken.com/art_review/art_review.html
2009年08月04日
サイト移動のお知らせ
posted by complex編集部 at 22:39| 展評
2009年06月03日
倉重光則展
北鎌倉のギャラリーPOLALIS The art stageにおいて、現在、倉重光則展が開催されている。
POLALIS The art stageは北鎌倉駅から徒歩15分ほどの場所にある。駅前通りはシンプルな道だが、住宅街に入り込むと複雑になり、こまめに案内図を見ながら進んでも迷いそうになる。しかし、迷いそうになったときに周りを見渡すと絶妙な間隔で電柱などにギャラリー名と矢印が書かれた紙が貼り付けられていて、目的地へと導いてくれる。ギャラリーは山の中腹に位置しており、石段を上り、崖下へと滑落しないように慎重に細い道を通過し、森の中へと吸い込まれるようにして到着する。
緑に囲まれた二階建てのシンプルなその建物はギャラリーというより、アトリエのようにみえるが、一階部分の壁の半分はガラス戸になっていて、光を充分に採り入れられるつくりになっている。傾斜の急な場所に位置するギャラリーはその立地条件を生かし、まるで空中に浮く隠れ家のように存在している。室内と地続きになっている黒色コンクリートの濡れ縁にあがり、出入り口でもある重いガラス戸を開け、靴を脱ぎ、スリッパを履いて中に入る。ギャラリーは、ふたつの部屋に分かれており、「明」と「暗」のコンセプトをもっているようだ。ギャラリー空間自体が表現性を備えているのである。
倉重光則は、壁三面がガラス戸になっている「明」の部屋に、展示空間を斜めに分断するように天井近くまで高さのある黒い鉄板を設置し、鉄板の床面近くに青いライトを這わせている。鉄板にはオイルが塗ってあり、そのオイルの効果が液体のにじみにも似たライトの反射をつくりだし、同時にギャラリー周辺の緑が鉄板に鮮明に映り込んでいる。これらの現象が鉄板に有機的な面影を与えている。
またライトは鉄板からガラス戸へと更に反射し、ギャラリー内を移動するたびに、窓外の風景のなかに、まるで逃げ水のようにライトの像が出没する。こちらが位置を変えるたびに変幻するライトが空間を不確かなものにする。
「暗」の部屋には壁面の下部分に鉄板に使用したものと同様の青いライトを設置している。ギャラリーの壁へとプロジェクタが画像を投影し、それが一定の間隔で次々と白い画像へと切り替わる。その刹那、正方形の白い画面が青いライトに侵食される。それによって、光により投影された正方形の「白い画面」の「空白」性が強調されている。しかし、それにしてもなぜ倉重は光によって空白を出現させたのだろうか。「暗」の部屋の中心部分に位置するその「空白」は何を意味するのか。
作品という「完全な世界」を構築することにおいて、「空白」は不要とみなされるだろう。なぜなら「空白」は、作品に対峙する私たちを現実世界へと引きずり戻す境界領域に位置し、「作品=エルゴン」に付随しながら、しかもパレルゴンとしても機能するからだ。しかし、映像の欠落として現われる「空白」は、額縁や台座とは大きく異なっている。この空白は、映像の背後に存在するパレルゴンに注意を向けさせる。パレルゴンの外部を成す地がパレルゴンの内部、すなわちエルゴンの領域にまで侵入していることを、映像の空白は教えてくれる。絵画の場合に置き換えていえば、この侵入する地とエルゴンとを区画するのはエルゴンとしての画面それ自体にほかならない。画面を成す絵具層は支持体や背後の壁面とエルゴンを区別するパレルゴンであり、映像の「空白」は、このような逆説に思い至らせずにはおかない。
倉重は、1981年に開廊した画廊パレルゴン(現在は存在しない)の開廊企画展の作家のひとりであったと伝え聞いた。そこで、昨年、「現場」研究会が開催した80年代美術シンポジウムの資料を見てみると、中島水緒作成の「80年代におけるアヴァンギャルド系現代美術――画廊パレルゴンの活動を焦点として――関連年表」に、倉重展のことが記載されていた。
――僕は絵画の人間、いまやっていることも絵画だと思っている。
ライトアートの作家という先入観で見に行き、偶然、会場で倉重がこのように語っているのを耳にして、認識を新たにした。作品に向き合えばその言葉は、たしかに納得できる。
フラッシュバックする空白や風景に映り込むライトの像を介して、作品の、そして画廊空間の内外に展開する倉重光則のインスタレーションは、おそらく作家の思惑をも越えていたのにちがいない。すなわち、作家主体の領域であるエルゴンをはみ出す在り方を示していた。パレルゴンは不意に現れ、そして消えてしまう。それをこそ、私たちは「世界」と呼ぶべきなのかもしれない。
POLALIS The art stage (2009年5月16日〜6月28日)
開廊 毎週/金・土・日 P.M.2:00〜8:00
http://www.polaris-art.com/index.html
[会期中のイベント]
倉重光則個展における4人のコラボレ−ション
倉重光則―美術・プロデュース
西村智弘―評論
ヒグマ春夫―映像の美術
水野俊介―5弦ウッドベース・作曲
[開催日]
5月24日(日)PM6:00〜
6月7日(日)PM6:00〜
6月21日(日)PM6:00〜
※料金 感動カンパ
POLALIS The art stageは北鎌倉駅から徒歩15分ほどの場所にある。駅前通りはシンプルな道だが、住宅街に入り込むと複雑になり、こまめに案内図を見ながら進んでも迷いそうになる。しかし、迷いそうになったときに周りを見渡すと絶妙な間隔で電柱などにギャラリー名と矢印が書かれた紙が貼り付けられていて、目的地へと導いてくれる。ギャラリーは山の中腹に位置しており、石段を上り、崖下へと滑落しないように慎重に細い道を通過し、森の中へと吸い込まれるようにして到着する。
緑に囲まれた二階建てのシンプルなその建物はギャラリーというより、アトリエのようにみえるが、一階部分の壁の半分はガラス戸になっていて、光を充分に採り入れられるつくりになっている。傾斜の急な場所に位置するギャラリーはその立地条件を生かし、まるで空中に浮く隠れ家のように存在している。室内と地続きになっている黒色コンクリートの濡れ縁にあがり、出入り口でもある重いガラス戸を開け、靴を脱ぎ、スリッパを履いて中に入る。ギャラリーは、ふたつの部屋に分かれており、「明」と「暗」のコンセプトをもっているようだ。ギャラリー空間自体が表現性を備えているのである。
倉重光則は、壁三面がガラス戸になっている「明」の部屋に、展示空間を斜めに分断するように天井近くまで高さのある黒い鉄板を設置し、鉄板の床面近くに青いライトを這わせている。鉄板にはオイルが塗ってあり、そのオイルの効果が液体のにじみにも似たライトの反射をつくりだし、同時にギャラリー周辺の緑が鉄板に鮮明に映り込んでいる。これらの現象が鉄板に有機的な面影を与えている。
またライトは鉄板からガラス戸へと更に反射し、ギャラリー内を移動するたびに、窓外の風景のなかに、まるで逃げ水のようにライトの像が出没する。こちらが位置を変えるたびに変幻するライトが空間を不確かなものにする。
「暗」の部屋には壁面の下部分に鉄板に使用したものと同様の青いライトを設置している。ギャラリーの壁へとプロジェクタが画像を投影し、それが一定の間隔で次々と白い画像へと切り替わる。その刹那、正方形の白い画面が青いライトに侵食される。それによって、光により投影された正方形の「白い画面」の「空白」性が強調されている。しかし、それにしてもなぜ倉重は光によって空白を出現させたのだろうか。「暗」の部屋の中心部分に位置するその「空白」は何を意味するのか。
作品という「完全な世界」を構築することにおいて、「空白」は不要とみなされるだろう。なぜなら「空白」は、作品に対峙する私たちを現実世界へと引きずり戻す境界領域に位置し、「作品=エルゴン」に付随しながら、しかもパレルゴンとしても機能するからだ。しかし、映像の欠落として現われる「空白」は、額縁や台座とは大きく異なっている。この空白は、映像の背後に存在するパレルゴンに注意を向けさせる。パレルゴンの外部を成す地がパレルゴンの内部、すなわちエルゴンの領域にまで侵入していることを、映像の空白は教えてくれる。絵画の場合に置き換えていえば、この侵入する地とエルゴンとを区画するのはエルゴンとしての画面それ自体にほかならない。画面を成す絵具層は支持体や背後の壁面とエルゴンを区別するパレルゴンであり、映像の「空白」は、このような逆説に思い至らせずにはおかない。
倉重は、1981年に開廊した画廊パレルゴン(現在は存在しない)の開廊企画展の作家のひとりであったと伝え聞いた。そこで、昨年、「現場」研究会が開催した80年代美術シンポジウムの資料を見てみると、中島水緒作成の「80年代におけるアヴァンギャルド系現代美術――画廊パレルゴンの活動を焦点として――関連年表」に、倉重展のことが記載されていた。
――僕は絵画の人間、いまやっていることも絵画だと思っている。
ライトアートの作家という先入観で見に行き、偶然、会場で倉重がこのように語っているのを耳にして、認識を新たにした。作品に向き合えばその言葉は、たしかに納得できる。
フラッシュバックする空白や風景に映り込むライトの像を介して、作品の、そして画廊空間の内外に展開する倉重光則のインスタレーションは、おそらく作家の思惑をも越えていたのにちがいない。すなわち、作家主体の領域であるエルゴンをはみ出す在り方を示していた。パレルゴンは不意に現れ、そして消えてしまう。それをこそ、私たちは「世界」と呼ぶべきなのかもしれない。
(浦野依奴)
POLALIS The art stage (2009年5月16日〜6月28日)
開廊 毎週/金・土・日 P.M.2:00〜8:00
http://www.polaris-art.com/index.html
[会期中のイベント]
倉重光則個展における4人のコラボレ−ション
倉重光則―美術・プロデュース
西村智弘―評論
ヒグマ春夫―映像の美術
水野俊介―5弦ウッドベース・作曲
[開催日]
5月24日(日)PM6:00〜
6月7日(日)PM6:00〜
6月21日(日)PM6:00〜
※料金 感動カンパ
posted by complex編集部 at 22:45| 展評
2009年04月22日
どこかの何とか展
その展覧会のコンセプトに敬意を表し、またそれをより徹底させるため、ここではその展覧会名を敢えて秘す。言わばどこかの何とか展である。展覧会の企画者はどこかの何某である。恐らくその展覧会は、そのコンセプトに忠実であるならば、アノニマス扱いでなければならない。美術展かどうかの情報すら、本来は隠すべきなのだろう。それこそが、この展覧会の趣旨に賛同して作品を出した作家に対してフェアな態度だ。
関東地方の某「美術館」で展覧会が開かれている。その「美術館」は非営利であるために、思い切りの良い展覧会が企画できると言われていたりもする。この「展評」サイトにも、その「美術館」で開かれた別の展覧会の展評が存在する。その時の評もまた、その思い切りの良さを評価したものだったと記憶する。今回のこの展覧会も、思い切りが良いという評価が与えられるかもしれない。確かに本展は現状における営利の「美術館」では、実現不可能な展覧会であるとは言える。
展覧会のDMには企画者側が提出した観客向けの趣旨文が載っている。そこから一部引用する。
「作品鑑賞の場である展覧会では、作品とともに、タイトルや作者の情報を記載したキャプション(作品解説板)が提示されます。もしキャプションがなかったら、私たちはきっと不安を感じてきたことでしょう。それはいったいどうしてなのでしょう。世界は「実体」とその名づけられた「名前」によって成り立っています。それは私たちの自我と、名前との関係にも重なります。本展は古今東西約400点の作品のキャプション展示を通して「作品」と「キャプション」の関係、そして「実体」と「命名の歴史」について、考えようとするものです。」
そういう事なのだそうだ。世界は「実体」と「名前」に二分される。まずはこの構図を何も考えずに受け入れよう。受け入れなければ全ては始まらない。
では実際にそれをどう展示で実現しているのか。
会場は「美術館」としては狭い。そこに32点の作品が展示されている。本展が一般的な展覧会と異なるとするならば、そこにキャプションが存在しないという一点に尽きる。展示そのものは奇をてらっている訳ではない。極めてコンサバティブに作品が壁に掛かっていたり、床に置かれている。そのいずれもが「油絵」や「彫刻」や「版画」という、これもまた極めてコンサバティブな設えを持つ作品であり、その全てが現存作家の手による物だ。恐らくこの展覧会にはこうしたコンサバティブな作品が必要不可欠なのである。端からそれを無視している作品ではこうはいかない。キャプションの有無が問題になるとされる作品でなければ、この展覧会が意図する物語を紡げないだろう。そこに計算ならぬ計算を見る事は十分に可能だ。それは本展覧会に於けるテクニックの一部なのである。
「伝統的」な展示では、作品の近傍にキャプションと呼ばれるプレートが設置されているとされているし、実際にそういうケースがほとんどであるとも言える。それは実際には少しも「伝統」でも何でもないのだが、話の信仰上――誤変換――もとい進行上そういう事にしておく。当展覧会の趣旨に沿うならば、観客はキャプションの不在によって不安を感じるのであるし、そうなる事があらかじめ想定されている。
キャプションがない事で不安を感じる観客。それがこの展覧会のターゲットである。今日、展覧会に限定的なターゲットを想定する事は掛け値無く正しい。展覧会は「全ての人類」相手でなくても一向に構わないのだし、むしろ展覧会に於いて「全ての人類」向けという在り方が不可能である事は、今ではすっかり常識だ。
ターゲットとしての観客は、展覧会場で数々の美術作品を見る。しかしキャプションが無くても、空白のキャプションパネルが、作品の横に提示されてしまっている。それを含めたパレルゴンの数々は、ほとんど全てが保たれているから、それらが美術作品だとすぐに判る。想定上は、観客はそれらの美術作品にキャプションが存在しない事で、不安感が引き起こされる事になっている。床の上にはランダムに古今東西の画集から抜き出されたキャプションが撒かれている。さてこの作品のキャプションはどれかな、どれじゃないのかな。これもまた想定内の行動だろう。
会場入口で渡されたパンフレット類を見ると、そこには撒かれたキャプションとは別の人達の名前が書かれている。それによって撒かれたキャプションと展示された作品が全く関係ない事が一瞬で判明する。結局タイトルだけしか判らない。
会場入口には、どういう訳かこの展覧会自体の「キャプション」が掲げられていて、どこの何という人間がどういう意図でこの展覧会を企画したのかが、これもまたいとも簡単に判明する。結局全体としてみれば手厚い展示であり、観客をことさらに不安に陥れる事はしない。親切の上にも親切であり、その親切に深く感じ入る。
どんでん返しの情けが身に染みる展覧会である。ツンデレなのだろうか。(大村益三)
どこかの何とか展
2009年の4月頃、某所にて開催
関東地方の某「美術館」で展覧会が開かれている。その「美術館」は非営利であるために、思い切りの良い展覧会が企画できると言われていたりもする。この「展評」サイトにも、その「美術館」で開かれた別の展覧会の展評が存在する。その時の評もまた、その思い切りの良さを評価したものだったと記憶する。今回のこの展覧会も、思い切りが良いという評価が与えられるかもしれない。確かに本展は現状における営利の「美術館」では、実現不可能な展覧会であるとは言える。
展覧会のDMには企画者側が提出した観客向けの趣旨文が載っている。そこから一部引用する。
「作品鑑賞の場である展覧会では、作品とともに、タイトルや作者の情報を記載したキャプション(作品解説板)が提示されます。もしキャプションがなかったら、私たちはきっと不安を感じてきたことでしょう。それはいったいどうしてなのでしょう。世界は「実体」とその名づけられた「名前」によって成り立っています。それは私たちの自我と、名前との関係にも重なります。本展は古今東西約400点の作品のキャプション展示を通して「作品」と「キャプション」の関係、そして「実体」と「命名の歴史」について、考えようとするものです。」
そういう事なのだそうだ。世界は「実体」と「名前」に二分される。まずはこの構図を何も考えずに受け入れよう。受け入れなければ全ては始まらない。
では実際にそれをどう展示で実現しているのか。
会場は「美術館」としては狭い。そこに32点の作品が展示されている。本展が一般的な展覧会と異なるとするならば、そこにキャプションが存在しないという一点に尽きる。展示そのものは奇をてらっている訳ではない。極めてコンサバティブに作品が壁に掛かっていたり、床に置かれている。そのいずれもが「油絵」や「彫刻」や「版画」という、これもまた極めてコンサバティブな設えを持つ作品であり、その全てが現存作家の手による物だ。恐らくこの展覧会にはこうしたコンサバティブな作品が必要不可欠なのである。端からそれを無視している作品ではこうはいかない。キャプションの有無が問題になるとされる作品でなければ、この展覧会が意図する物語を紡げないだろう。そこに計算ならぬ計算を見る事は十分に可能だ。それは本展覧会に於けるテクニックの一部なのである。
「伝統的」な展示では、作品の近傍にキャプションと呼ばれるプレートが設置されているとされているし、実際にそういうケースがほとんどであるとも言える。それは実際には少しも「伝統」でも何でもないのだが、話の信仰上――誤変換――もとい進行上そういう事にしておく。当展覧会の趣旨に沿うならば、観客はキャプションの不在によって不安を感じるのであるし、そうなる事があらかじめ想定されている。
キャプションがない事で不安を感じる観客。それがこの展覧会のターゲットである。今日、展覧会に限定的なターゲットを想定する事は掛け値無く正しい。展覧会は「全ての人類」相手でなくても一向に構わないのだし、むしろ展覧会に於いて「全ての人類」向けという在り方が不可能である事は、今ではすっかり常識だ。
ターゲットとしての観客は、展覧会場で数々の美術作品を見る。しかしキャプションが無くても、空白のキャプションパネルが、作品の横に提示されてしまっている。それを含めたパレルゴンの数々は、ほとんど全てが保たれているから、それらが美術作品だとすぐに判る。想定上は、観客はそれらの美術作品にキャプションが存在しない事で、不安感が引き起こされる事になっている。床の上にはランダムに古今東西の画集から抜き出されたキャプションが撒かれている。さてこの作品のキャプションはどれかな、どれじゃないのかな。これもまた想定内の行動だろう。
会場入口で渡されたパンフレット類を見ると、そこには撒かれたキャプションとは別の人達の名前が書かれている。それによって撒かれたキャプションと展示された作品が全く関係ない事が一瞬で判明する。結局タイトルだけしか判らない。
会場入口には、どういう訳かこの展覧会自体の「キャプション」が掲げられていて、どこの何という人間がどういう意図でこの展覧会を企画したのかが、これもまたいとも簡単に判明する。結局全体としてみれば手厚い展示であり、観客をことさらに不安に陥れる事はしない。親切の上にも親切であり、その親切に深く感じ入る。
どんでん返しの情けが身に染みる展覧会である。ツンデレなのだろうか。(大村益三)
どこかの何とか展
2009年の4月頃、某所にて開催
posted by complex編集部 at 00:16| 展評
2009年04月16日
「伊藤純代 秘め事」展
現在、国分寺のギャラリーswitch pointで「伊藤純代 秘め事(森啓輔企画vol.1彫刻、何処でもない場所のカケラ)」展が開催されている。制作のモチーフとなっている子どもの玩具からは作家自身の幼少時における強い思い入れが伝わってくる。
くまのプーさんのぬいぐるみを切り裂き、綿を抜き取り、作家がふたたび生地の部分のみを縫合することによって再構築している。内蔵にあたるワタ(綿/腸)を抜いたぬいぐるみの皮が展示されているのだ。ひとつは四角く構成された《square》、もうひとつは《イマジナリーな》と題され、行政区画の地図のようなかたちをしている。これらは、それぞれ壁に貼り付けられている。
彫刻の概念からはほどとおいぬいぐるみや着せ替え人形という玩具を題材とし、構成目標に応じて素材から不要な部分を削り取るように、玩具から実用的遊具という機能を剥ぎ取り、刃物によって新たなかたちを形成し、再構築する。一見、乱雑に切り裂いているようにみえても、再構築される姿を予想しながら、切り刻んでいるのだとすれば、これは、まさしく彫刻家としての技だ。
ギャラリーに入ってすぐ左手の壁に着せ替え人形9体分の頭部を切り開いて、ひとつに縫合した《a face》。金色のナイロンの髪の毛が複合化された顔面をたてがみのように縁取り、9つの顔面をひとつにかたちづくっている。
また、ギャラリーの正面奥には、《mask girl》と題された3体の着せ替え人形がパンツ一枚の姿で立っている。3体とも頭部の中央を垂直に切り裂き、それを裏返しにした状態で縫合されており、金髪が縫合の隙間や首の節合部分から勢いよく飛び出している。なかにはモヒカン状態になっているものもある。

A
縫合作業はすべて刺繍糸で行われている。刺繍針は裁縫用の針よりも太いので、縫合部分は痛々しさを感じさせる。それは、縫合しながら、逆に切り裂かれたことを際立たせている。裁縫においては、努めて縫合部分を隠そうとするが、反対に刺繍は縫合部分すなわち糸をみせる。縫合によって切り口を隠蔽する行為は、切り刻んだことの隠蔽でありながら、逆に傷口をさらけだすことになっている。技法-材料の選択は当を得ている。
3体の顔を縫合する刺繍糸はまるで血液が流れ落ちるように無造作に垂れ下がっている。なかでも赤色系の糸は流動する体液をイメージさせることで、空間を掻き乱す不穏な振動を有している。伊藤は傷口に仮想の血液を垂れ流すことでみる者の生命的な不安にスウィッチを入れるのだ。
それは、しかし、生の否定ではない。誰かにかまってほしくて自傷行為をする子どもに、それは似ている。リストカットをする十代の女の子たちが語る「自分の体を傷つけることによって生きていることを実感する」という意識にも通じる。そこにあるのは、死へと向かう目的行為ではなく、生きることの手段としての行為である。
裏返しにした顔や複数の顔は「何か」を隠蔽していることを暗示し、人形へと投射した作家自身のペルソナを捉えどころのないものにする。「何か」を言いかけながら、しかし意味深な態度でみる者を惑わすこととなる。顔を裏返しにされた《mask girl》3体のうち中央の人形は目や口元あたりを中心的に黒やピンクの刺繍糸で装飾され、口元にあたる部分からはピンクの刺繍糸がダラリと垂れ下がっている。これは作品化されてもなお昇華されきれていない吐血にも似た作家の叫びというべきだろうか。「秘め事」というタイトルが思い浮かぶが、しかし、その解釈として、これは、いささか陳腐にすぎる。
伝えようと意志するとき、それに成功しようと失敗しようと、伝えようとすることはすでに「秘め事」ではない。目と口を縫合された人形は、自他の「秘め事」に対して閉ざされながら、しかし、閉ざされることで「秘め事」の存在を指し示している。ギャラリー中央に設置されたドールハウスは、断熱の目的で建築に使用される発泡ウレタンが注入され、煙突や窓から溢れ出ている。こうして内部を充填し、充填することで内部を隠蔽すると同時に外部化する。すなわち、外部が内部へと転換されることとなる。「秘め事」にまつわるアイロニーを、このドールハウスは物語っているようだ。

B
伊藤の異様なまでに伝えようとする行為は暴露と隠蔽、生と死を繰り返し、他者との関係の共振によって彼女の真意は空中分解する。切り口や内外の転換によって開かれた「新たな」造型は、瞬間的にではあるがどこにも属さないことを可能にする。空中分解し、宙づりとなったカケラは他者の目に触れることにより、ゆっくりと落下しながら生の証しへと近づいていく。
彼女の「秘め事」がどのようなものであれ、わたしには興味はない。関心があるのは、「秘め事」ならざる作品だけだ。(浦野依奴)
2009年4月9日〜19日 (15日は休廊)
switch point
http://www.switch-point.com/
A=《mask girl #1 #2 #3》2009年 人形、刺繍糸
右から順に h27×w12×d11 / h28×w18×d5 / h23×w8×d5(cm)
B=《untitled》2008年 ドールハウス、発泡ウレタン、スタイロフォーム
h157×w70×d70(cm)
撮影:加藤健
くまのプーさんのぬいぐるみを切り裂き、綿を抜き取り、作家がふたたび生地の部分のみを縫合することによって再構築している。内蔵にあたるワタ(綿/腸)を抜いたぬいぐるみの皮が展示されているのだ。ひとつは四角く構成された《square》、もうひとつは《イマジナリーな》と題され、行政区画の地図のようなかたちをしている。これらは、それぞれ壁に貼り付けられている。
彫刻の概念からはほどとおいぬいぐるみや着せ替え人形という玩具を題材とし、構成目標に応じて素材から不要な部分を削り取るように、玩具から実用的遊具という機能を剥ぎ取り、刃物によって新たなかたちを形成し、再構築する。一見、乱雑に切り裂いているようにみえても、再構築される姿を予想しながら、切り刻んでいるのだとすれば、これは、まさしく彫刻家としての技だ。
ギャラリーに入ってすぐ左手の壁に着せ替え人形9体分の頭部を切り開いて、ひとつに縫合した《a face》。金色のナイロンの髪の毛が複合化された顔面をたてがみのように縁取り、9つの顔面をひとつにかたちづくっている。
また、ギャラリーの正面奥には、《mask girl》と題された3体の着せ替え人形がパンツ一枚の姿で立っている。3体とも頭部の中央を垂直に切り裂き、それを裏返しにした状態で縫合されており、金髪が縫合の隙間や首の節合部分から勢いよく飛び出している。なかにはモヒカン状態になっているものもある。

A
縫合作業はすべて刺繍糸で行われている。刺繍針は裁縫用の針よりも太いので、縫合部分は痛々しさを感じさせる。それは、縫合しながら、逆に切り裂かれたことを際立たせている。裁縫においては、努めて縫合部分を隠そうとするが、反対に刺繍は縫合部分すなわち糸をみせる。縫合によって切り口を隠蔽する行為は、切り刻んだことの隠蔽でありながら、逆に傷口をさらけだすことになっている。技法-材料の選択は当を得ている。
3体の顔を縫合する刺繍糸はまるで血液が流れ落ちるように無造作に垂れ下がっている。なかでも赤色系の糸は流動する体液をイメージさせることで、空間を掻き乱す不穏な振動を有している。伊藤は傷口に仮想の血液を垂れ流すことでみる者の生命的な不安にスウィッチを入れるのだ。
それは、しかし、生の否定ではない。誰かにかまってほしくて自傷行為をする子どもに、それは似ている。リストカットをする十代の女の子たちが語る「自分の体を傷つけることによって生きていることを実感する」という意識にも通じる。そこにあるのは、死へと向かう目的行為ではなく、生きることの手段としての行為である。
裏返しにした顔や複数の顔は「何か」を隠蔽していることを暗示し、人形へと投射した作家自身のペルソナを捉えどころのないものにする。「何か」を言いかけながら、しかし意味深な態度でみる者を惑わすこととなる。顔を裏返しにされた《mask girl》3体のうち中央の人形は目や口元あたりを中心的に黒やピンクの刺繍糸で装飾され、口元にあたる部分からはピンクの刺繍糸がダラリと垂れ下がっている。これは作品化されてもなお昇華されきれていない吐血にも似た作家の叫びというべきだろうか。「秘め事」というタイトルが思い浮かぶが、しかし、その解釈として、これは、いささか陳腐にすぎる。
伝えようと意志するとき、それに成功しようと失敗しようと、伝えようとすることはすでに「秘め事」ではない。目と口を縫合された人形は、自他の「秘め事」に対して閉ざされながら、しかし、閉ざされることで「秘め事」の存在を指し示している。ギャラリー中央に設置されたドールハウスは、断熱の目的で建築に使用される発泡ウレタンが注入され、煙突や窓から溢れ出ている。こうして内部を充填し、充填することで内部を隠蔽すると同時に外部化する。すなわち、外部が内部へと転換されることとなる。「秘め事」にまつわるアイロニーを、このドールハウスは物語っているようだ。

B
伊藤の異様なまでに伝えようとする行為は暴露と隠蔽、生と死を繰り返し、他者との関係の共振によって彼女の真意は空中分解する。切り口や内外の転換によって開かれた「新たな」造型は、瞬間的にではあるがどこにも属さないことを可能にする。空中分解し、宙づりとなったカケラは他者の目に触れることにより、ゆっくりと落下しながら生の証しへと近づいていく。
彼女の「秘め事」がどのようなものであれ、わたしには興味はない。関心があるのは、「秘め事」ならざる作品だけだ。(浦野依奴)
2009年4月9日〜19日 (15日は休廊)
switch point
http://www.switch-point.com/
A=《mask girl #1 #2 #3》2009年 人形、刺繍糸
右から順に h27×w12×d11 / h28×w18×d5 / h23×w8×d5(cm)
B=《untitled》2008年 ドールハウス、発泡ウレタン、スタイロフォーム
h157×w70×d70(cm)
撮影:加藤健
posted by complex編集部 at 16:17| 展評
2009年02月21日
「自然哲学としての芸術原理」吉川陽一郎展
「私は考えていません」
今日の美術でそれを言う事は常に難しい様だ。だから美術は常に言っている。
「私は考えています」
建築家によって考えに考え抜かれた「街」の一角に、その展覧会場はある。「街」としてここは全くの無問題であるかと言えば、実際にはそうでも無さそうな気もするのだが、しかしそれらの問題も、建築家の「私は考えています」によって払拭出来そうな気にさせられる事もあるだろう。芸術家でもある建築家が考えてくれているのだから、恐らくその「街」は建築や芸術としてなら正しいのだと思われる。
「自然哲学としての芸術原理」というタイトルを持つ6名の美術家による「グループ展」である。この「グループ展」が一般的なグループ展と異なるのは、1ヶ月毎に入れ替わる連続個展という形式を取っているところにある。同時にグループ展である事を印象付ける為なのだろう。会場のスペースの2/3程は6名の共同展示(作品持ち寄り)に充てられている。1月の個展は鷲見和紀郎だったが、今月2月は吉川陽一郎となっている。共同展示部分は先月と変わっていない。
プレスリリース文には「芸術制作の原理的な条件を思考する」とある。これを限りなく要約すれば、やはり「私は考えています」という事になるだろう。果たして「自然哲学としての芸術原理」というテーマの下に相集った美術家の一人である吉川陽一郎は何を考えているのか。即ち如何なる原理的な条件を、彼の芸術制作に於いて思考しているのであろうか。そして些か所与的に過ぎるとも感じられるタイトルの「自然」とは一体何か。
正しく建築家の作品である美術館に入る。カウンターで入場料を払い、先月までと同じ松浦寿夫、菊池敏直による作品が数点並んだ短い通路を抜けると、そこからが吉川陽一郎の個展になる。作品数は作者本人によって5点であるとカウントされている。従って出品作は5点とする。
5点の内、「壁 -1」と「壁 -2」の2点は共同展示としての出品作であり、既に先月から展示されているものだ。「逃げる四角」と「転送器 受用-1」は、昨秋に和光大学構内で開催されたアンデポンタン展に出品された同名の「逃げる四角」を分割して2点となった作品。そして吹き抜け空間に、今月初お目見えの「落堕墮墜」という本展で最も「大きな」作品がある。それらの吉川作品の間に鷲見和紀郎の作品が一点挟まれ、階上のフロアもまた岡ア乾二郎、伊藤誠、鷲見和紀郎による共同展示となっている。
恐らく「構成」には"composition"の側面と"construction"の側面があるのだろう。飽くまでも私見であるが、形を作り出す行為そのものが"composition"としての「構成」であり、その"composition"を"organize"する理が"construction"としての「構成=構造」と言える。そしてその"construction"をここで言う「芸術制作の原理的な条件」とするならば、「美術作品の形式と内容との連関関係を、そのもっとも基本的な条件のもとで問い直す(プレスリリース文より)」は、"construction"を主題化したという意味での"formalism"を意味するものだろう。
吉川陽一郎作品はこの"composition"と"construction"との間を常に揺れ動いている。現れた"composition"により重きを置いている作品と、それが出現するに至るまでのプロセスとしての"construction"により重きを置いている作品に大別出来る印象がある。今回の展覧会では「壁 -1」と「転送器 受用-1」が前者の系統に属すると思われる一方で、残りの3点は後者の系統に属していると言えよう。

《落堕墮墜》
例えば「落堕墮墜」の"composition"はこうである。4つの鉛の円錐(コーン)が部屋の四隅の床に置かれている。それぞれの底部に結び付けられた荷造紐が、それぞれ一旦天井近くまで鉛直方向に伸ばされている。3フロア分の高さを持つ吹き抜けの最上部付近の四隅(地上8メートル弱)には、細い荷造紐に似つかわしくない質量を持つ、1センチ程の太さを持つ鋼鉄製丸棒で作られた、直径約20センチ程の大きさの4つの「ヒートン」が壁に埋め込まれ、それらの環に紐が通された後、再びそこから紐が降下していく。4つの鉛製円錐が置かれた部屋の中央地上2メートル強の位置に、マリオネットを操作する十字の木片(Animator)を彷彿とさせる木組みがあり、それが上空から舞い降りてきた紐によって4点支持で吊されている。吊しているその紐は、十字のそれぞれの「枝」の先でグルグル巻きにされ、再び床に向かって降下する。そして物質的な復元力が極めて脆弱な熱収縮テープで「骨接ぎ」された鋼鉄製丸棒に紐が結わえ付けられ、その先に頼りなくその位置を定めるキャスターが付いている。
その"construction"は単純である。基本的に4本の荷造紐がこの全体の"composition"を構成している。それぞれのエレメントの位置は、余りに単純な物理的因果関係の法則性に基づいている。紐というメディアは、確かにそうした因果律を見せるのには都合の良い素材だろう。上の作品記述を逆にすれば、床から持ち上ったキャスターの位置や角度は、2メートル強の高さにある十字の木組みから下ろされた紐の長さによって決定され、その十字の木組みの位置は遥か上空からのヒートンから下ろされた紐の長さによって決定されるものの、そもそもそれらの懸垂の連鎖自体を成立させているのは、ヒートン経由の紐によって繋がった鉛製のバラストの自重によるものである。従って8メートル弱の高さを持ち、ワイドとディメンションがそれぞれ3メートル強というこの「巨大」な作品は、仮に悪戯心を持つ観客が小学生の使う様なハサミでその細い紐の一本でも切断すれば、たちまち全体の"composition"が崩壊してしまうのである。

《壁-2》
こうした「ピタゴラスイッチ」的とも言える"construction"の因果律は「壁 -2」にも見られ、鋼鉄製の各エレメントを繋ぐのは、またしても脆弱そうな紐とテープである。従ってこれもまた小学生のハサミの餌食に十分になり得る。

《逃げる四角》
「逃げる四角」はこれらとは趣向が若干異なるが、しかし細いグラスファイバー製のロッド12本で構成された高さ3メートル強の六面体は、壁面の一点にパーマセルテープで留められているだけで頼りない事この上無い。その六面体は常にフラフラしていて落ち着かず、従って形は辛うじて物理的バランスが釣り合った状態をその都度見せているのみだ。そしてこの"composition"もまた、軽くペンチの餌食になるだろう。
「自然哲学としての芸術原理」。しかし恐らく吉川陽一郎のこれらの作品は、どこかでそこから捻れている。寧ろそれは「芸術哲学としての自然原理」と言うに相応しいのだと思われる。
彼の「私は考えています」は「私は考えていません」を志向する。(大村益三)
「自然哲学としての芸術原理」展
共同展示: 1月17日(土)-6月21日(日)
連続個展:
第1回 1月17日(土)-2月9日(月)鷲見和紀郎
第2回 2月11日(水)-3月9日(月)吉川陽一郎
第3回 3月12日(水)-4月4日(土)菊池敏直
第4回 4月5日(日)-4月30日(木)松浦寿夫
第5回 5月2日(土)-5月25日(月)伊藤誠
第6回 5月28日(木)-6月21日(日)岡ア乾二郎
東京アートミュージアム(有料300円)
http://www.tokyoartmuseum.com
今日の美術でそれを言う事は常に難しい様だ。だから美術は常に言っている。
「私は考えています」
建築家によって考えに考え抜かれた「街」の一角に、その展覧会場はある。「街」としてここは全くの無問題であるかと言えば、実際にはそうでも無さそうな気もするのだが、しかしそれらの問題も、建築家の「私は考えています」によって払拭出来そうな気にさせられる事もあるだろう。芸術家でもある建築家が考えてくれているのだから、恐らくその「街」は建築や芸術としてなら正しいのだと思われる。
「自然哲学としての芸術原理」というタイトルを持つ6名の美術家による「グループ展」である。この「グループ展」が一般的なグループ展と異なるのは、1ヶ月毎に入れ替わる連続個展という形式を取っているところにある。同時にグループ展である事を印象付ける為なのだろう。会場のスペースの2/3程は6名の共同展示(作品持ち寄り)に充てられている。1月の個展は鷲見和紀郎だったが、今月2月は吉川陽一郎となっている。共同展示部分は先月と変わっていない。
プレスリリース文には「芸術制作の原理的な条件を思考する」とある。これを限りなく要約すれば、やはり「私は考えています」という事になるだろう。果たして「自然哲学としての芸術原理」というテーマの下に相集った美術家の一人である吉川陽一郎は何を考えているのか。即ち如何なる原理的な条件を、彼の芸術制作に於いて思考しているのであろうか。そして些か所与的に過ぎるとも感じられるタイトルの「自然」とは一体何か。
正しく建築家の作品である美術館に入る。カウンターで入場料を払い、先月までと同じ松浦寿夫、菊池敏直による作品が数点並んだ短い通路を抜けると、そこからが吉川陽一郎の個展になる。作品数は作者本人によって5点であるとカウントされている。従って出品作は5点とする。
5点の内、「壁 -1」と「壁 -2」の2点は共同展示としての出品作であり、既に先月から展示されているものだ。「逃げる四角」と「転送器 受用-1」は、昨秋に和光大学構内で開催されたアンデポンタン展に出品された同名の「逃げる四角」を分割して2点となった作品。そして吹き抜け空間に、今月初お目見えの「落堕墮墜」という本展で最も「大きな」作品がある。それらの吉川作品の間に鷲見和紀郎の作品が一点挟まれ、階上のフロアもまた岡ア乾二郎、伊藤誠、鷲見和紀郎による共同展示となっている。
恐らく「構成」には"composition"の側面と"construction"の側面があるのだろう。飽くまでも私見であるが、形を作り出す行為そのものが"composition"としての「構成」であり、その"composition"を"organize"する理が"construction"としての「構成=構造」と言える。そしてその"construction"をここで言う「芸術制作の原理的な条件」とするならば、「美術作品の形式と内容との連関関係を、そのもっとも基本的な条件のもとで問い直す(プレスリリース文より)」は、"construction"を主題化したという意味での"formalism"を意味するものだろう。
吉川陽一郎作品はこの"composition"と"construction"との間を常に揺れ動いている。現れた"composition"により重きを置いている作品と、それが出現するに至るまでのプロセスとしての"construction"により重きを置いている作品に大別出来る印象がある。今回の展覧会では「壁 -1」と「転送器 受用-1」が前者の系統に属すると思われる一方で、残りの3点は後者の系統に属していると言えよう。
《落堕墮墜》
例えば「落堕墮墜」の"composition"はこうである。4つの鉛の円錐(コーン)が部屋の四隅の床に置かれている。それぞれの底部に結び付けられた荷造紐が、それぞれ一旦天井近くまで鉛直方向に伸ばされている。3フロア分の高さを持つ吹き抜けの最上部付近の四隅(地上8メートル弱)には、細い荷造紐に似つかわしくない質量を持つ、1センチ程の太さを持つ鋼鉄製丸棒で作られた、直径約20センチ程の大きさの4つの「ヒートン」が壁に埋め込まれ、それらの環に紐が通された後、再びそこから紐が降下していく。4つの鉛製円錐が置かれた部屋の中央地上2メートル強の位置に、マリオネットを操作する十字の木片(Animator)を彷彿とさせる木組みがあり、それが上空から舞い降りてきた紐によって4点支持で吊されている。吊しているその紐は、十字のそれぞれの「枝」の先でグルグル巻きにされ、再び床に向かって降下する。そして物質的な復元力が極めて脆弱な熱収縮テープで「骨接ぎ」された鋼鉄製丸棒に紐が結わえ付けられ、その先に頼りなくその位置を定めるキャスターが付いている。
その"construction"は単純である。基本的に4本の荷造紐がこの全体の"composition"を構成している。それぞれのエレメントの位置は、余りに単純な物理的因果関係の法則性に基づいている。紐というメディアは、確かにそうした因果律を見せるのには都合の良い素材だろう。上の作品記述を逆にすれば、床から持ち上ったキャスターの位置や角度は、2メートル強の高さにある十字の木組みから下ろされた紐の長さによって決定され、その十字の木組みの位置は遥か上空からのヒートンから下ろされた紐の長さによって決定されるものの、そもそもそれらの懸垂の連鎖自体を成立させているのは、ヒートン経由の紐によって繋がった鉛製のバラストの自重によるものである。従って8メートル弱の高さを持ち、ワイドとディメンションがそれぞれ3メートル強というこの「巨大」な作品は、仮に悪戯心を持つ観客が小学生の使う様なハサミでその細い紐の一本でも切断すれば、たちまち全体の"composition"が崩壊してしまうのである。
《壁-2》
こうした「ピタゴラスイッチ」的とも言える"construction"の因果律は「壁 -2」にも見られ、鋼鉄製の各エレメントを繋ぐのは、またしても脆弱そうな紐とテープである。従ってこれもまた小学生のハサミの餌食に十分になり得る。
《逃げる四角》
「逃げる四角」はこれらとは趣向が若干異なるが、しかし細いグラスファイバー製のロッド12本で構成された高さ3メートル強の六面体は、壁面の一点にパーマセルテープで留められているだけで頼りない事この上無い。その六面体は常にフラフラしていて落ち着かず、従って形は辛うじて物理的バランスが釣り合った状態をその都度見せているのみだ。そしてこの"composition"もまた、軽くペンチの餌食になるだろう。
「自然哲学としての芸術原理」。しかし恐らく吉川陽一郎のこれらの作品は、どこかでそこから捻れている。寧ろそれは「芸術哲学としての自然原理」と言うに相応しいのだと思われる。
彼の「私は考えています」は「私は考えていません」を志向する。(大村益三)
「自然哲学としての芸術原理」展
共同展示: 1月17日(土)-6月21日(日)
連続個展:
第1回 1月17日(土)-2月9日(月)鷲見和紀郎
第2回 2月11日(水)-3月9日(月)吉川陽一郎
第3回 3月12日(水)-4月4日(土)菊池敏直
第4回 4月5日(日)-4月30日(木)松浦寿夫
第5回 5月2日(土)-5月25日(月)伊藤誠
第6回 5月28日(木)-6月21日(日)岡ア乾二郎
東京アートミュージアム(有料300円)
http://www.tokyoartmuseum.com
posted by complex編集部 at 13:53| 展評
2009年02月10日
安 美子展
表音文字の国の人の、表語文字によって描かれた作品。
何故に彼女は、ハングルでも、アルファベットでも、ひらがなでも、カタカナでもなく、漢字を選んだのか。彼女にとっては最も親しいとは言えない文字の筈だ。
彼女の最も親しい表音文字は、余りに彼女に近過ぎるのかもしれない。声から遠い文字を彼女は選んだ。その文字の持つ遅延の中で彼女は手を動かし続け、その遅延を遅延させる。
(大村益三)
ギャラリー青羅
2009年2月8日〜14日
http://www.hi-ginza.com/seira/
コバヤシ画廊
2009年2月9日〜14日
http://gallerykobayashi.jp/
(画像データ:《惺惺・寂寂》2008年、墨汁、綿布、182.5×126.0×9.5cm)
posted by complex編集部 at 23:13| 展評
2008年11月25日
横浜トリエンナーレ2008
地域活性化策の一環としての横浜トリエンナーレという場で「本格主義」legitimatismを敢えて実践することはクリティシズムか、ヒロイズムか、それともスノビズムか。あるいは、ディレクターにとっては、それらすべてを満たすものであるとみるべきなのだろうか。☆帰属国家名の表示のないのが、とても気に入った。仮に参加アーティストのなかに意志的な無国籍者が存在していたとして、その事実を知りえないのが残念といえば残念だけれど。(北澤憲昭)
2008年9月13日〜11月30日
http://yokohamatriennale.jp/
2008年9月13日〜11月30日
http://yokohamatriennale.jp/
posted by complex編集部 at 19:49| 展評
2008年11月09日
関根伸夫《位相-大地》(再制作)
移送、大地。跡には、でかい落とし穴!
☆以下余談。☆周囲に設けられた柵を越えて穴に近づく。意外と鋭いエッジに土木のプロの技量を感じる。思ったより穴は深い。おそるおそる覗き込むと底に枯葉が二、三枚散り込んでいる。現代美術もまた季節と共にあるという――必ずしも当たり前ではない――感慨を抱く。☆穴の残土を積み上げたシリンダーは、写真から想像していたより、ずっと離れたところにある。☆帰りに回った銀座の関根伸夫展で作者と遭遇。あれは落ちたら怪我をしますねと、穴をめぐる素朴な感想を口にしたら、深い穴があったら縁で立ち止まる、それが人間というものだよと、にこやかに作者は応じた。いつか読んだギブソンの「負のアフォーダンス」という言葉が、場違いの冬の花火のように一瞬ひらめいて消えた。ちなみに須磨のときは柵は設けられず、遠まきに縄が張り巡らされていたとのこと。(北澤憲昭)
2008年11月1日(土)〜9日(日)
多摩川アートラインプロジェクト アートラインウィーク2008
(田園調布せせらぎ公園)
http://www.tamagawa-art-line.jp
posted by complex編集部 at 23:30| 展評
2008年10月04日
液晶絵画 STILL/MOTION
posted by complex編集部 at 17:49| 展評
2008年09月01日
建築がみる夢 石山修武と12の物語
マンション暮らしの今はせいぜい狭いヴェランダで観葉植物を栽培するくらいしかできないが、田舎に住んでいた少年時代にはよく家庭菜園で畑仕事に精を出したものだ。そうした体験の持ち主は、他にも少なくないだろう。当時の身体的記憶が未だに残っているのだろうか、日々の雑事にかまけている間にも、ふと無性に土をいじりたくなることがある。どの駅からも遠く、都心とは思えない豊かな緑に恵まれている砧公園はそうした連想をめぐらせる格好のロケーションである。そうした次第で、この夏同公園に所在する世田谷美術館で開催された石山修武展が「建築も畑作りも同じ未来が見えている」とうたっているのを見たときには、思わず快哉を叫びたくなった。
「12の物語」というタイトルからもわかるとおり、本展は石山が今までに国内外で手がけてきた代表的なプロジェクトを物語形式で構成したもので、「ひろしまハウス」「世田谷村」「天の川・ざくろの小径計画」「渡真利島 月光・TIDA計画」「猪苗代鬼沼計画」「農村ネットワーク計画」「グアダラハラ計画」「チリ建国200年祭計画」「北京モルガンセンター計画」「ミャンマー仏教文化センター計画」「音の神殿計画」「浅草計画」という12のプロジェクトが、模型や図面、写真付の解説パネルなどによって紹介されていた。それぞれの詳細な説明はカタログに譲るとして、これらのプロジェクトはいずれも現在進行形のものであり、本展を今までの業績の回顧ではなく、今後のプロジェクトの起点として位置付けようとする石山の強い意気込みをうかがい知ることができたことを断っておきたい。
これらのプロジェクトのなかでも、最も印象的なひとつが「世田谷村」であった。石山は世田谷区在住で、この「世田谷村」とは他でもない彼自身の自邸の呼称なのだが、この自邸は築50年の木造住宅の上に、鉄骨を組んだ屋上屋を架し、そこを土台として畑を造成しているリノベーションに大きな特徴がある。本展の趣旨に従えば、将来はこの屋上に小屋を建て、果樹を育ててみたいという石山のひそかな願望も、自邸を「村」へと展開していく物語の一過程と言えそうだ。
ところで、「世田谷村」の屋上屋は造船技術の応用によって作られたものだが、彼が考案した技術的な工夫としては他にコルゲートパイプの活用、左官の漆喰技術の導入、セルフビルド、D=D(Direct dealing)方式による部品供給などが挙げられる。これらの技術は、いずれも石山が『秋葉原感覚で住宅を考える』を出版した84年の時点で既に提唱されていたものだ(なお付言しておけば、『萌える都市アキハバラ』で知られるオタク論者の森川嘉一郎は石山の弟子に当たる。かなり特異な形でとはいえ、その遺伝子は着実に継承されているのだ)。いずれも強いコスト意識によって考案された技術であり、建築界ではしばしば異端視されてきた石山が、実は建築を生活の延長線上で捉えようというまっとうな生活観の持ち主であったことがわかる。
こうした石山の仕事に接していると、私はついクリストファー・アレクサンダーの論文「都市はツリーではない」を思い出してしまう。モダニズムの人工的な都市計画に対していち早く批判の眼差しを向けたこの画期的な研究によって、アレクサンダーは長い年月にわたって自然に形成された「自然都市」とデザイナーやプランナーによって計画された「計画都市」を対比し、両者の構造的な差異を「セミラティス」と「ツリー」に見出して、後者には前者の持つ複雑さが欠落しており、それによって空間の閉塞感がもたらされるのだと結論付けた。この先駆的な都市研究は建築や都市計画のみならず、ジル・ドゥルーズや柄谷行人らにも大きな影響を与えたことで知られているが、ここに見られる都市のヒエラルキー批判の視点は、生活に根ざした石山の建築観とも大いに通底しているのではないだろうか。
最後に、誤解を承知の上で不躾な感想も述べておこう。私が同展を訪れた8月中旬のある日、石山は会場内の一角に陣取ってマスコミの取材に応じていた。その傍らにはオンライン接続されたパソコンが設置され、研究室の学生と思しき若者が石山の指示に従ってせわしなく動き回っていた。聞くところによると、6月末に展覧会が開幕して以来、石山はほとんど連日詰め掛けていて、事実上展覧会場がアトリエと化していたとのこと。最近、北海道の旭山動物園の目覚ましい成功によって、ただ檻に入れただけではない動物の生態を見せる行動展示という手法が大きな注目を集めているが、当日、大学の博物館実習のため多くの学生を引率して会場を訪れていた私は、担当学芸員のN氏と話し込んでいるうち、石山の仕事ぶりを始終目の当たりにできるこの展示は実は極めつけの行動展示ではないかということで意見の一致を見たのだった。(暮沢剛巳)
2008年6月28日〜8月17日
世田谷美術館
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/index.html
「12の物語」というタイトルからもわかるとおり、本展は石山が今までに国内外で手がけてきた代表的なプロジェクトを物語形式で構成したもので、「ひろしまハウス」「世田谷村」「天の川・ざくろの小径計画」「渡真利島 月光・TIDA計画」「猪苗代鬼沼計画」「農村ネットワーク計画」「グアダラハラ計画」「チリ建国200年祭計画」「北京モルガンセンター計画」「ミャンマー仏教文化センター計画」「音の神殿計画」「浅草計画」という12のプロジェクトが、模型や図面、写真付の解説パネルなどによって紹介されていた。それぞれの詳細な説明はカタログに譲るとして、これらのプロジェクトはいずれも現在進行形のものであり、本展を今までの業績の回顧ではなく、今後のプロジェクトの起点として位置付けようとする石山の強い意気込みをうかがい知ることができたことを断っておきたい。
これらのプロジェクトのなかでも、最も印象的なひとつが「世田谷村」であった。石山は世田谷区在住で、この「世田谷村」とは他でもない彼自身の自邸の呼称なのだが、この自邸は築50年の木造住宅の上に、鉄骨を組んだ屋上屋を架し、そこを土台として畑を造成しているリノベーションに大きな特徴がある。本展の趣旨に従えば、将来はこの屋上に小屋を建て、果樹を育ててみたいという石山のひそかな願望も、自邸を「村」へと展開していく物語の一過程と言えそうだ。
ところで、「世田谷村」の屋上屋は造船技術の応用によって作られたものだが、彼が考案した技術的な工夫としては他にコルゲートパイプの活用、左官の漆喰技術の導入、セルフビルド、D=D(Direct dealing)方式による部品供給などが挙げられる。これらの技術は、いずれも石山が『秋葉原感覚で住宅を考える』を出版した84年の時点で既に提唱されていたものだ(なお付言しておけば、『萌える都市アキハバラ』で知られるオタク論者の森川嘉一郎は石山の弟子に当たる。かなり特異な形でとはいえ、その遺伝子は着実に継承されているのだ)。いずれも強いコスト意識によって考案された技術であり、建築界ではしばしば異端視されてきた石山が、実は建築を生活の延長線上で捉えようというまっとうな生活観の持ち主であったことがわかる。
こうした石山の仕事に接していると、私はついクリストファー・アレクサンダーの論文「都市はツリーではない」を思い出してしまう。モダニズムの人工的な都市計画に対していち早く批判の眼差しを向けたこの画期的な研究によって、アレクサンダーは長い年月にわたって自然に形成された「自然都市」とデザイナーやプランナーによって計画された「計画都市」を対比し、両者の構造的な差異を「セミラティス」と「ツリー」に見出して、後者には前者の持つ複雑さが欠落しており、それによって空間の閉塞感がもたらされるのだと結論付けた。この先駆的な都市研究は建築や都市計画のみならず、ジル・ドゥルーズや柄谷行人らにも大きな影響を与えたことで知られているが、ここに見られる都市のヒエラルキー批判の視点は、生活に根ざした石山の建築観とも大いに通底しているのではないだろうか。
最後に、誤解を承知の上で不躾な感想も述べておこう。私が同展を訪れた8月中旬のある日、石山は会場内の一角に陣取ってマスコミの取材に応じていた。その傍らにはオンライン接続されたパソコンが設置され、研究室の学生と思しき若者が石山の指示に従ってせわしなく動き回っていた。聞くところによると、6月末に展覧会が開幕して以来、石山はほとんど連日詰め掛けていて、事実上展覧会場がアトリエと化していたとのこと。最近、北海道の旭山動物園の目覚ましい成功によって、ただ檻に入れただけではない動物の生態を見せる行動展示という手法が大きな注目を集めているが、当日、大学の博物館実習のため多くの学生を引率して会場を訪れていた私は、担当学芸員のN氏と話し込んでいるうち、石山の仕事ぶりを始終目の当たりにできるこの展示は実は極めつけの行動展示ではないかということで意見の一致を見たのだった。(暮沢剛巳)
2008年6月28日〜8月17日
世田谷美術館
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/index.html
posted by complex編集部 at 23:25| 展評
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